思春期の子どもにとって最大の恐怖は、岩宮恵子(「思春期センサー」著者)さんによると、「ぼっち」になることやそのように見られることだということです。親しい友達がいなくても一向にかまわないが、周囲から、「あいつは友達のいない、孤独で痛い人」と思われることが苦しいのだそうです。
特に新学期は、誰もが人間関係の構築を迫られ、「ぼっち」への不安から、無理をしてでもどこかのグループに属そうとするようです。このような「ぼっち」への過剰な意識の背景には、いくつかの要因が指摘されています。
① 日本のように集団行動が重視される文化では、一人でいることが「浮いている」と見られてしまうことがある。
② 楽しそうなグループ写真や動画がSNSに投稿されるため、「自分もあの輪の中にいなければ」と焦る気持ちが強い。
③ 仲間に受け入れられることが自己肯定感の大きな要素となり、「ぼっち=自分に価値がない」と感じてしまう。
「いつメン(いつものメンバー)」とは、いつも一緒に行動するメンバーの略ですが、必ずしも親密な関係で構成されているとは限りません。安心感を得る一方で、以下のような側面も指摘されています。
① 表面的には一緒にいても、心を開けず「とりあえず一緒にいる」だけの状態が、逆に緊張や不安を生むこともある。
② 「いつメン」に所属していても、実際には孤独感が続いてしまうケースもある。
③自分の居場所を守るために、他者を意識的に排除するような行動に繋がる場合もある。
「いつメン」文化は、どちらかといえば女子のほうが敏感で、グループ内の微妙な力関係やキャラのかぶりに気を遣い、不登校や退学につながってしまうこともあります。男子は女子ほどグループ内の同調圧力には敏感ではないと言われていましたが、「孤立=弱さ」と捉える傾向があり、室への引きこもりなど、別の形で孤独を抱えることがあるとも指摘されています。
「ぼっち」も「いつメン」も、若者たちが自分の居場所や他者とのつながりを模索する中で生まれた言葉です。どちらも心の奥にある不安や願いが映し出されたものであり、個々が「自分らしさ」を見つけていくためのプロセスの一部なのかもしれません。心理カウンセリングルーム・ウィルでは、そうした若者たちの声に耳を傾けながら、自分自身の感情や居場所について優しく見つめ直す機会を提供しています。

心のコラム
№31 「ぼっち」と「いつメン」

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